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2025.10.27

いつも久居グリーンホテルをご利用いただき、ありがとうございます(^_-)-☆
秋も深まり、本来であれば爽やかな風が心地よく、木々の葉が色づき始める美しい季節ですが、
ここ最近は天候もすっきりしない日が多いですね...
そんな毎日ですが、みな様いかがお過ごしでしょうか。

秋といえば行楽の秋。
歴史に触れる旅はいかがでしょう。

今回は、久居の歴史を今に伝えるスポット「久居陣屋」をご紹介します。

久居という地名は、「永久に鎮居する」という願いを込めて名付けられたといわれています。
その名の通り、この地は江戸時代を通じて久居藩の拠点として栄えました。
久居藩は、津藩主・藤堂高次の次男である藤堂高通が5万石を分知されて、
寛文9年(1669年)に立藩した支藩です。
当初は本格的な城を望みましたが、幕府の許しが得られず、陣屋(藩庁)を築きました。

皆さんは「陣屋」と聞いて、どんな建物を想像しますか?
多くの方が、お城に比べて質素な建物をイメージされるかもしれません。
久居陣屋は、その規模や構造に大きな特徴がありました。

1. 築城技術を駆使した構造
 …高台に築かれた陣屋の周囲には、土塁(土を盛り上げた堤防)がめぐらされ、
  さらに「溝」と呼ばれる堀が設けられていました。
  これは、江戸幕府から「築城」を許されていなかったため、「堀」ではなく、
  あえて「溝」と称したと言われています。

2.庶民から愛された「小藤堂」
 …質素な陣屋とは一線を画す立派な構えであった久居陣屋は、地元の人々から
  親しみを込めて「小藤堂(ことうどう)」と呼ばれていました。
  藩主の久居藤堂家が、本家である津藩の藤堂家(大藤堂)と区別されつつも、
  大切に思われていたことが伺えますね。

久居藩は、ただ久居の地を治めるだけの藩ではありませんでした。
藩を存続させるための「保険」、実は久居藩は本家である津藩に後継者が途絶えた際に
備えるという、非常に重要な役割を担って創設されました。
久居のまちの基礎を築くと同時に、藤堂家全体の血筋を守る「守り役」だったのです。

現在の陣屋は残念ながら明治維新後、取り壊されてしまいました。
しかし、その跡地は現在、久居中学校と高通(たかみち)児童公園として生まれ変わり、
地域の人々の憩いの場となっています。


公園の入口には案内板が設置されており、かつての陣屋の配置や歴史を学ぶことができます。
南西側には、高台の地形を利用した土塁や空堀のわずかな遺構が今も残されています。

私も実際に行ってみました!
公園内の各所に記念碑が建っていて詳しい説明も記されているので、陣屋に限らず、
久居全体の歴史を知る良い機会となりました(^^)/

久居を訪れた際には、陣屋跡の公園で往時の藩主たちの思いと、
まちを形作った歴史の息吹を感じてみてはいかがでしょうか。

前回こちらで紹介した現在、開催中のお散歩イベントと併せて、
ぜひ晴れた日に訪れてみてください♪
 




◆当ホテルからのアクセス
 •徒歩:久居グリーンホテルから北へ約15分~20分
 •お車:約5分(高通児童公園に駐車場あり)

フロントに地図のご用意がございます。気軽にお声がけくださいませ。
 

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